お仏壇の歴史
お仏壇の歴史
白鳳14(西暦686)年3月27日に天武天皇により「諸国の家ごとに仏舎を設け、仏像・経を置いて礼拝供養せよ」との詔が出され、これが日本において仏壇をご安置するようになった起源とされています。(「日本書紀」)
室町時代になると本願寺中興の祖として知られる蓮如上人が積極的な布教活動を行い、門徒に日々の勤行の重要性を説いたことにより、お仏壇が一般家庭に広まっていったのではないかとも言われています。
その後、庶民がお仏壇を本格的にお祀りするようになったのは江戸時代とされており、現在のような仏教と先祖供養や葬式が強く結びつくようになったのは、江戸幕府の檀家制によるものだと言われています。
全日本宗教用具協同組合では天武天皇の勅が出された3月27日にちなみ毎月27日を「仏壇の日」に制定しています。
又、お仏壇の原型とされるのは、飛鳥時代につくられた法隆寺にある玉虫の厨子がよく知られています。
大阪仏壇の歴史・特徴
大阪仏壇の歴史
大阪仏壇は、伝統的技術と高い品質が認められ、1982年(昭和57年)に通産大臣から伝統工芸品の指定を受けました。
15世紀後半、大阪において浄土真宗本願寺派8世の蓮如(れんにょ)様によって石山本願寺が創建されました。
この蓮如 (れんにょ)様によって、文明年間(1469〜1487)に摂津、河内、和泉の地域に精力的な布教が行われ、多くの末寺や道場が建立されました。
戦国時代に入り、浄土真宗本 願寺派法主は蓮如様から実如様、そして証如様に引き継がれていきましたが、大阪塗り仏壇の歴史もこの当時が始まりであったとされています。
江戸時代の大阪(大坂)は、商人文化の発達した日本屈指の大都市であり、日本経済の中心でした。商人のその財力によって、仏壇も豪華なものになっていったと思われています。
伝統工芸品 大阪仏壇は、400年以上の歴史を育み、伝統工芸士の技が冴えた絢爛豪華な佇まいが何よりも最大の特徴となっております。
大阪仏壇の特徴
伝統工芸品 大阪仏壇の構造上、仕様の特徴は以下のようになります。
- ・大阪欄間で知られる掘り起こし技法の彫刻を多用する。
- ・文様を浮き立たせる蒔絵技法・独特の研磨を行う塗り技法
- ・繧繝彩色
- ・表金具に独特の青宣徳(緑青色)のものを使用する
- ・表金具を宗派によって変える場合がある
- ・立て塗り仕上げの中に「並立」「中立」「上立」といった区別がある。
- ・蝋色仕上げの中に「戸呂」「前呂」「総呂」といった区別がある。
- 各箇所のご紹介
余間
余間(よま)元来は真宗寺院本堂において本尊を祀る部屋の左右の部屋のことを言いますが、お仏壇では須弥壇脇のことを言います。
真宗大谷派(お東)用 宮殿・欄間
諸仏・諸尊、開祖・宗祖まどを祀るための場所で、屋根と柱で構成されています。尊を祀る部分と脇侍を祀る両脇の三間で構成されたものが一般的です。また、当て字として「空殿」と書く場合があります。
真宗大谷派(お東)用 宮殿
真宗大谷派(お東)用 天井
八光堂は、90余年にわたり、寺院用仏具・お仏壇の製造に携わってまいりました。
製造から販売まで一貫したシステムによって、よりよい商品をより安く提供できるよう努力しております。